備忘録として鼠径ヘルニアの手術と経過について書いておく。
山行記録ついでに書くつもりがわりと長くなったので別個で。


手術前日に入院したのだがこの日はシャワーを浴びて体を綺麗にしておく程度しかすることも無く暇だった。

手術当日、下半身の局所麻酔で行われた手術は麻酔の効きを確認した後睡眠薬を飲まされてその後の記憶がない。気付いたら病室に戻っており尿道にカテーテルを入れられおむつを履いていた。
まあ手術自体は痛みもなく終わったわけだがその後麻酔が切れるとともに酷く痛んできて寝返りも打てず。やはり腹を切ると痛いものらしい。メッシュをいれられた違和感は無かった。その夜は痛み止めと点滴も打ってもらっていたのだが一睡もできなかった。
衝撃だったのは手術後にスマホを見ると後輩から開発部の同じのグループの先輩が胆嚢炎で緊急手術・入院したと連絡が来ていたこと。お盆直前じゃなかったら課長は頭抱えてるだろうなと思った。

翌日、点滴・カテーテルも外され自力でトイレにいけるようにはなった。しかしベッドから下りるのも痛みに耐える状態で甲子園を見て時間を潰していた所、別の先輩を伴って当の胆嚢炎を手術した先輩が点滴したまま僕の病室に現れた時は驚いた。なんと僕と同じ病院で僕の数時間後に手術して病室も三つ隣だった。
先輩の話によると腹部が酷く痛むので朝病院になんとか自力で辿りついたらそのまま手術入院となったらしい。内視鏡手術で胆嚢全摘出してでかい胆石が三つあったとか。腹筋切られたから痛いといいつつ内視鏡手術のせいか僕より早く出歩けるようになったらしい。その後見舞いに来た後輩に先輩もすぐ近くの病室にいるぞと教えると驚いていた。

病院のベッドは硬く腰が痛くなるのでさっさと退院したかったのだが退院するためには病室のある3階から1階、タクシー乗り場までは自力で歩けるようにならないといけない。
とりあえず手術後二日目の時点で先輩の病室まで歩いて行けるようにはなったがまだ一階は遠かった。
しかし三日目になると回復してきて、病室にやってきた先輩が一階の売店に行くと言うのでそれについて行く恰好でなんとか一階まで往復することができた。明日退院しよう。そう決めた。ただこの状態では最寄駅から東京駅に辿りつく間に力尽きそうなので数日後の関西出張はキャンセルした。
一方で先輩は盆明けの海外出張には間に合わせると言っていたのだが結局キャンセルすることにしたらしい。内視鏡の穴以外にドレインチューブとやらで腹部に穴が開いており液体が漏れているらしいので妥当な判断だろうなと思った。海外で倒れたら色々大変そうだし。
ようやくまともに動けるようになり久々に浴びたシャワーは気分が良かった。

手術から四日後、昼前に退院しますと看護師さんに告げ請求書をもらう。手術費+入院費(6日間)で8万いかなかった。手術費は元々2-3万ですよと聞いていたがそれにしても思ったよりは多少安かった。
退院時に先輩の病室に寄ると先輩も明日退院らしい。一日ずれてお互い6日間の入院。後から聞いたのだが先輩の手術費+入院費は17万くらいしたらしい。鼠径ヘルニアは手術としては一番簡単な部類らしいがその分手術費用も安かったようだ。高額療養費制度のおかげで元より8万くらいしか自己負担しなくていいし、入ってる保険のおかげで帰ってくるお金の方が多いくらいだと先輩は笑っていたが。

久々のアパート、やはり自分のベッドの寝心地はいい。もう入院したくないと思った。付き添いで来ていた母、退院と聞いてやってきた父親とご飯を食べたのでこの夏は無理して帰省する必要は無くなった。
元々関西に出張して土日で実家に寄っていくつもりだったのだが、まあ鼠径ヘルニアを舐めていたと言う事だろう。簡単な手術とはいえ開腹する以上一週間で自由に出歩けるレベルには回復しないと言う事だ。

手術後一週間で抜歯して盆明け、手術後10日で仕事に復帰したのだが二三日は歩くのが辛くて大変だった。それでも医者も歩くのは自由にしていいと言っていたので痛みに耐えつつデスクワーク中心にしていると週末辺りには大分普通に歩けるようになり、翌週には日常生活を送るのに支障は無くなった。三週間後には週末後輩達と雀荘に行き、後ろで知らないおっさん達が"マジ卍"等と言いだし皆で失笑を堪えるのに必死な状況だったがもう腹部は痛まなかった。

手術後一カ月、傷跡を抑えると硬くなっておりまだ痛いのだがそこに触れさえしなければもう普通に生活できる。
医者も一月たったら自己責任で激しい運動してもいいよと言っていた。この週末でちょうど一か月が過ぎリハビリで低山に行くことにしたのだが、予想以上の体力低下に泣きたくなった。